半ドンの由来を書いたときに、気になった江戸時代の人びとの休日。
どういう風に休んでいたのか、
日曜日のような共通の休みがあったのか?
休みの感覚や概念はどうだったか?
おもしろかったので、紹介します。
江戸時代の人びとに、日曜や休日はあったのか?
江戸時代の休日、
全体の休みというと、「お盆」と「お正月」くらい。
だからといって、働いてばかりでもないです。
江戸時代でも、年代や地域、また身分によって、休む日数や働き方は変わります。
自由気ままの人もいれば、働き詰めの人もいました。
もう少し細かく見ていきましょう。
武士の休日
江戸幕府の公的な行事と祝日は、5つありました。
それが、節句の日。
五節句ですね。
正月7日 | 人日(じんじつ) | 七草の節句 |
3月3日 | 上巳(じょうし) | 桃の節句 |
5月5日 | 端午(たんご) | 菖蒲の節句 |
7月7日 | 七夕(しちせき) | 七夕(たなばた) |
9月9日 | 重陽(ちょうよう) | 菊の節句 |
ただ、この節句の祝いの日に「休んだ」人は少なかったようです。
幕府の役人でさえ、働いていたようです。
「式日(しきじつ)」といって、祝うために働きました。
ではいつが休みだったか。
武士階級の役職付きの例
「2勤1休、四つ上がり・八つ下がり」
=2日働いて1日休み、10時出勤、14時退勤、昼休み1時間。
明治時代になっても官庁の役人には、この習慣を続けた人がいたそうです。
役付きでない侍
非役のお侍さんは、毎日が休日の人もいました。
「3番勤め」という、3日に1日お勤めをしたら休みという勤務体系もありました。
実際、1人で出来る仕事を3人でしたのだそうです。
職人の休日
江戸時代の商人や職人の多くは、毎月1日、15日、25日を休日としたそうです。
5節句も休みだった地域もありました。
また、同業種などで決めた定休日や行事休みがありました。
大工や左官などの職人は雨だと休んだようです。
職人さんは、朝7時から夕5時まで。
午前、昼、午後と休みがあり、8時間くらい働いたという記録があります。
忙しい時は、手当もあったとか。
江戸の大工さんは、午前に1時間、昼に1、2時間休憩。
そして昼過ぎには仕事を止めたなんて話も。
商人の休日
奉公をする商人は、月1で休みがありました。
1月16日、藪入りの時期にも休みを設けて、吉原遊びにも行ったと記録があります。
数年丁稚(でっち)で(3年から9年)働くと、実家への帰省がゆるされます。
これを「初登り」と呼び、長期休暇が与えられました。
衣装やお金を用意され、親へのお土産賃もあったそうです。
商家の奉公人は、朝7時から夜7時までの12時間労働が当たり前だったようです。
14時間や16時間、働いていたという記録もあります。
近江商人や伊勢商人、大阪商人といった人達は、よく働いていたという記述が残っています。
働き詰めの人がいた一方、
半日、半ドンで仕事を終えたり、適当に仕事をする人は多かった模様。
江戸末期、日本を訪れた外国人がサボっている日本人が多いので驚いています。
何もすることのない何もしていない人々、その数は日本ではかなり多いのだが、そんな人たちは火鉢の周りにうずくまって、お茶を飲み、小さな煙管を吸い、彼らの表情豊かな顔にハッキリと現れている満足げな様子で話をしたり、聞いたりしながら長い時間を過ごすのである。彼ら日本人の優しい気質、親切な礼儀作法そしてまた矯正不可能な怠惰を真に味わえるのは、こんな風に寄り集まった日本人に接する時である。仕事に対する愛情は日本人にあっては、誰にでも見られる美徳ではない。彼らのうちの多くは、まだ東洋に住んだことのないヨーロッパ人には考えもつかないほどに無精者である。
出典:スイス領事の見た幕末日本
ヘボン(日本在住1859~92)は昼間っから酒を飲んで酔いつぶれ、あるいは大暴れしている人びとの多さに驚き、また酔って仕事もままならなくなる日本人家事使用人たちに悩まされている。せめて仕事中ぐらいは酒を飲まない労働者を雇えないかと日本人商人に尋ねるが、そんな日本人を見つけるのは難しいと言われて途方に暮れていた
出典:「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著
農民の休日
時代や地域によって、大きく働き方が変わっています。
働き詰めの農家があった一方、休みを多くとる農民もいました。
ホワイトな地域もブラックな地域もありました。
年間で休日が10日程度の時代、地域。
30日~50日の休日があった時代、地域があったようです。
江戸中期の仙台藩では、年間80日の休みがあったようです。
飢餓が原因で、農民の人手不足があったので優遇されました。
加賀藩では、遊び日と休日が分けられていたそうです。
祭りや年中行事は、「遊び日」でそれ以外が「休日」
1800年の加賀藩新川群では、遊び日が年間34日、休日は9日あったそうです。
引用:江戸のワークライフバランス〜江戸時代の村人はいかにして休日を勝ち取ったか?
豪農といって、各地に富をえた農家もあらわれています。
武士階級にお金を貸すこともしていました。
日曜はあったのか?平日と休日の概念はあったの?
日曜日という言葉字体は、
古くから日本に入っていました。
藤原道長(平安中期)の日記『御堂関白記』には、
毎日の曜日が記されています。
ただ、朝廷のほんの一部の人達だけが知っていた七曜。
江戸の人びとにとって、
「日曜日」という概念はありませんでした。
(一部の職能人や長崎のキリシタンを除く)
「曜日」の概念は、一般の人にはありませんでした。
日本は、月の周期をもとにした
「太陰暦」のカレンダーが使われていました。
西洋・中東の「太陽暦」をもとにした
7(曜日)×52(週)≒365日の考え。
そこから生まれた7日に1度の「安息日」という休日。
使うカレンダーが違ったので、
日曜という発想がなかったのです。
休日の概念はありました。
身分によって違いますが、休日を設けていました。
また、順番に交代する仕事などが当たることを「当番」
1ヶ月ごとに交代する仕事などは「月番」と言います。
時代劇などで、「今日は、非番だ」というセリフは
ここから来ています。
今の時代でも、残っています。
警察官や消防士の間では使われていますよね。
一概に、江戸時代を一括(くくり)にして論じるのは、
出来ないのですが、大雑把な様子を記してみました。
経済状況によって働き方が違うのは、
いつの時代も同じでした。
今と比べてみると、
大胆な休み方をする人がいた時代でしたね。
まとめ
以上、江戸時代に日曜日、休日という概念はあったのか。
曜日や平日の感覚はあったのか。
そして、どういう「休み」をとっていたのか。
以上のことについて、記しました。
半ドンについて書いている時、
疑問に思い調べて見ました。
「江戸時代」で区切って語ることは、
時代や身分によって、違いが大きすぎて
難しかったですが、大まかにまとめてみました。